生きた証として作品を描くからそれをプロデュースしてくれないか。

お世話になった方に久しぶりに挨拶へ伺ったタイミングで冒頭のようなことを言われたらどーするか、という問題に直面しました。

場所は安東さんの事務所のすぐそば、マガジンハウスの裏にある明治館という喫茶店。この喫茶店は場所柄、始終混んでいて雑誌の編集者、モデル、カメラマン、常連の会社員、銀ブラ途中の御婦人などで賑わっています。

われわれはこの喫茶店へ通い始めて数十年、どんなに混んでいても座れてしまうという魔法を使えるので隅っこの席に腰を落ち着け、おしぼりで手を拭き、水を呑み、さて、ご挨拶と思った矢先、先手を打たれました。

いま作品を描いている。この二年で二十点描いた、技法はジクレー、作品はこれ、と見せてくれた。

「ついてはプロデュースしてほしい、死んだあとの作品の管理も頼む。」

三秒考えましたが、断れる理由はなにもありません。襟を正してお受けいたしました。

安東さんのことをざっと申し上げると、東京藝術大学 美術学部から資生堂 宣伝部 アートディレクターを経て独立、いまは茨城県土浦にアリエを構えて制作に取り組んでいます。資生堂時代には「ゆれる、まなざし」、「君のひとみは10000ボルト」、「時間よ止まれ、まぶしい肌に」、「ナツコの夏」などのキャンペーンを成功させてきた人物の一人です。

自分が広告業界へ入った時、クリエーティブに配属、コピーライターとして修行を積んでいた時に安東さんと出会いました。当時は書いたコピーをちらっと見ると「オンナが描けていないよね。」とダメ出しの連続でした。

また、自分が写真を撮るようになったのも安東さんのご指南によるものでした。実はコピーがまったく書けなくなっちゃった時期がありました。それを安東さんに相談したところ、「コピーライターって左脳ばっかり使うからだめなんじゃないの? 右脳を使わないと。絵を教えてあげるから絵を描いたら?」とアドバイスをいただくのですが、さすがに絵を描くのは面倒くさいと言ったら、じゃあデッサンにしようと、デッサンをしばらく教わっていました。しばらく続けたのですが飽きてきちゃった。そうしたら、じゃあ写真撮ってみればと、はじめたらハマってしまったという具合です。

これがその時のデッサンですが、まあ、やってるとすぐ飽きちゃうんですね。

カメラを買って毎日、4ギガのメモリーいっぱいに写真を撮っては夜、安東さんの事務所に見せに行くわけです。「うーん、気持ちはわかるけどねー。」「あー、構図はいいんだよな。」「光がね〜。」とやっぱりダメ出しの日々。

一年くらい続けたでしょうか、ある日、「だいぶ光の大切さがわかってきたみたいだから、この写真集見て勉強しようか。」と貸していただいたのがアーヴィング・ペンのパッサージュという写真集。毎日眺めていましたが、一体なにを見ればいいのかわからないという有様です。

そして、よもやま話もすみ、さて帰ろうかという時、訊ねてみました。

「むかしさ、アーヴィング・ペンの写真集を穴を開けるまで眺めて光の使い方を覚えろって言ったでしょ。」
「言ったね。」
「でね、光の捉え方はわかってきたと思うのだけどさ、その先ってどうやって思想を入れるの?」

この場合の思想っていうのは被写体との関係性でありモチーフだよ。
人を撮ればポートレイトってわけじゃないでしょう、その人との関係性がなければただの物体を撮っているのと変わらない、いや、物体を撮るのだって関係性があるでしょ、それを見つけるんだ。多分、次のハードルがあるとすれば生と死だ、それを意識できた時、なにか見えるはずだ!

自分にはかなりハードルの高いことですが、いただいたコトバを胸に、自分自身の手かせ足かせ、重荷として日々、写真を撮っています。

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