深夜プラス1

二十代の最初の頃はとてもとても本に飢えていて、手当たり次第、手に触れる、目に入る本を片っ端から読んでいました。

学生の頃は図書館へ行き、この棚の端から端まで全部借りる、と言うと、一人20冊までです、と注意されたり、社会へ出ると会社の帰りに本屋へ寄り、でっかい紙袋いっぱいに本を買い、枕元で読むやつ、風呂で読む本、電車で読む分とだいたい平行して三冊をいつも読んでいました。

#当時はアマゾンとか無かったから良かったです。
#この時、アマゾンがあったら、間違いなく本で破産してたでしょう。

それにしても、なんで、こんなに字に飢えるのだろう、いつから本ばかり読むようになったのだろうと記憶をたどると、中学生の頃、一時期外に一切出なくなり、いまでいう引きこもりみたいな感じになって、その時に本から得られる気持ちよさに目覚めたんだと思います。

当時は一日に三冊から四冊ほどを読み(中学生の頃だから体力ありますね、いまはとても無理、本を読むのって体力いるから)、部屋の中が本だらけ、まさに乱れ打ち涜書三昧って感じでした。

その引きこもりもバイクの免許を取ると無くなり、今度は外に出っぱなしで、家に帰るのは腹が減った時だけ、一切、本を読まなくなり、バイクを弄るだけでは物足りず、弄ったバイクで女の子の尻ばかりを追いかけていた16歳の夏でした。

ちょっと枕が長くなりましたが、この本、深夜プラス1ですが、これはその本漁りをしていた時に見つけた、のではなく、ロバート・B・パーカー、ダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラーと珠玉のハードボイルドを読んでいて、その流れで発見した本です。

この頃はその流れの源泉にいるアーネスト・ヘミングウェイにはまだ届いていなかったみたいです。

主人公のルイス・ケインがパリのカフェ、ドゥ・マゴで雨をしのいでいる時、戦時中のコードネームで彼宛に電話が入ります。

依頼をしてきたのは彼の戦時中の仲間、アンリ、という、パリで屈指の弁護士と言われている男。仕事の内容はある男をクルマでフランスのカンペールからリヒテンシュタインという国まで無事に送り届けて欲しいというものでした。

このストーリーを紡いでいくのは4人。

戦時中、フランスのために戦ったレジスタンスを仲間に持つ、元スパイの感傷的なイギリス人、ルイス。

世界的な企業を経営、節税のためにリヒテンシュタインに会社を登記、婦女暴行の嫌疑をかけられている実業家、マガンハルト。

イギリスの上流階級の婦女子を育成する学校を卒業し、マガンハルトの秘書を務め、ホディガードのガンマンに恋をしてしまうイギリス人女性、ヘレン。

シークレットサービスでアメリカ合衆国大統領のボディーガードをしていたアル中でプロのガンマン、ハーヴェイ。

この4人の行動と言葉を手がかりに読み手はどんどんストーリーにのめりこんでいきます。

翻訳は菊池光氏。ロバート・B・パーカー、ディック・フランシスの翻訳で名を馳せた方です。この人の翻訳好きです、乾いていて、暖かく、冷たくなくて、優しい文章を書かれます。

イタリアには“Traduttore, traditore.”、翻訳者は裏切り者だ、ということわざがありますが、菊池光氏の翻訳は見事に裏切られる素晴らしい日本語になっています。

ストーリーにはふたつのクルマが出てきます。
ひとつはシトロエン、それもDS、もうひとつはロールズ・ロイス(ロールスではなく濁ります)のファントムII。

ロールズの方には乗ったことがないけれどDSには乗ったことがあります。どういうクルマかというと、とてもとても厄介なクルマです。

シトロエンDS、当時のフランスではサルーンの位置づけで、時の大統領シャルル・ド・ゴールの専用車でもありましたが、目的地まで時間通りに着くという局面では絶対にセレクトしたくないクルマです。

何故かというとこのクルマには「ハイドロ・ニューマチック」というメカニズムが使われており、ブレーキ、サスペンション、ステアリングのパワーアシストのために、ボディー全体に血管のようにシステムの動力を伝達する配管がなされていて、それがまた脆いのです。

ハイドロ・ニューマチック自体は先進的な油圧制御なのですが、設計思想は進んでいても、部品の工作精度や組み立ての精度が今ひとつなんです。そして油圧を生み出す油に酸化しやすい植物油を使っているのも曲者である原因だと考えています。

クルマとしてのDSの佇まいは、それこそフランス文学的抽象でなんともデカダンなんですけど。

ストーリーの中でこのクルマは事故に遇い、それが原因でDSのというかハイドロが壊れ行く様を作者はリアルに描写しています。

この人はきっとDSに乗ったことがあるんだ、そしてハイドロが壊れちゃったことがあるんだ。

だんだんとサスペンションが効かなくなり、ブレーキもままならず、ステアリングも重くなってくる、でも、たとえそうなっても最後までクルマを御していくドライバーのケインに共感を覚えました。

タイトルの深夜プラス1、ちょっと不思議なタイトルですが、原題である“Midnight Plus One”と書くとわかりやすいと思います。

深夜12時1分過ぎがルイスの請け負った仕事のタイムリミットなんです。

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