ある世界を理解しようとして、それが自分にとってあまりにも複雑でいままでのパターンがちっとも有効でないと不安になる場合があります。そして、「血よね、血だわ。」とか「運命よ。」、「相性がね。」などのかなり無理のあるパターンにしがみついてしまう時があるでしょう。
絵画でいうと「発色の良い高い絵の具を使っているから出せる色よね。」とか「馬の毛でつくった筆だからこのタッチが、、、」とか。その絵画の本質でないところに目が向いてしまう。写真だとあのカメラだから、このレンズの描写がとか、そういうところです。つまり表現の本質より技術や手法、道具に目が向くのはわかりやすいからなのですが。
この本はそのような問題の本質を理解する手助けとなる考え方を授けてくれます。
とある問題があるとします。
その時におかしな上下関係があるとその問題の最適な解決策が、そのおかしな人間関係のせいで見つけられない、という事が起こる場合があります。
たとえばAさんとBさんがいて、Aさんからの頼みをBさんは嫌と言えないとします。
そしてAさんの直接の要望がAさんの問題解決にとって適切な解ではなかったとします。
そしてAさん自身はそのことを理解していないとします。
もちろんBさんは起こっている問題のエキスパートで、Aさんの要望が問題を解決しないことを知っています。
AさんとBさんの立場が対等であれば、BさんはAさんの要望ではなく『問題を』解析して、正しい解決策を導くことができるでしょう。ところがBさんがAさんに『NO』と言えない場合、Bさんは『Aさんの要望』に応える事になるでしょう。
殺那的にはAさんの要望は満たされるけど、それはそもそも問題を解決しないからAさんの問題は緊急度を増し、ふたたびAさんに降り掛かってきます。するとAさんはとりあえずの要望をBさんに出し、Bさんはその『要望』に応え、そしてみごとに悪魔のスパイラルが完成します。
マネージャーの仕事の一つがこの『行動の管理』であると言われています。
集団の中にこのような不適切な状態が存在すると、当然、集団全体としてのパフォーマンスが落ち、「スケジュールに間に合わない」、「問題が解決しない」などの大きな状態が発生しがちです。
この場合の真の問題の解決は往々にして「Aさん」に負荷を強いますが、それでも悪循環を起こすよりはましである、ということをまずは自覚し、自覚させなくてはいけないでしょう。
「工学」というのはそもそもが問題を見つけ出し、他人のためにそれを解くという事を目的としています。従って、皆、問題を見つけるのは得意だと思っているし、そんなものはゴロゴロしている、と思っています。
そして、難しいのは問題を解くことの方だとも思っています。
しかし、現実にはそうではなく、問題が難しいのは問題が難しいからではなく、本当は正しく定義されていないからだとこの本は主張しています。ある事象があって、それによって困っている人がいるとして、それを誰の立場に立って定義するのか、によって問題は変わり、それによって問題の解決方法は変わる、ということをこの本は教えてくれます。
情報発信をしたい、こういう世の中だからホームページやSNSをやろう、と、いうところは間違っていないと思います。けれど、大切なのは発信したいなにか、表現したいなにか、が、あって初めて道具としてのホームページやSNSが役に立つと考えます。
カタチを整え道具を揃えればあとは自動的になんでもやってもらえる、というのはその本質とは少し違うように感じます。
ライト、ついてますか – 問題発見の人間学
小澤征爾音楽塾オーケストラ・プロジェクトI »