夏の終りに軽井沢

作品のご納品があり、少し足を伸ばせば軽井沢だったので行ってきました。訪れたのは8月最後の日曜日。大渋滞を予感していたのですが、ところどころで多少の交通はあるもののスイスイと到着しました。旧道から碓氷峠を廻って軽井沢へ上がるのは高校生のときのツーリング以来でした。 まずはお昼。高校生の時から通っている、中軽井沢にあるア・ラ・ガールというカレー屋さんへ。食事の後、お店の方と話したら千葉県がご出身だと伺いました。軽井沢は住みやすいですか?と尋ねると「田舎暮らしだからラク」と仰せでした。でも夏は別荘へ見える方が多く野菜などは物価が上がるようです。 そこから軽井沢の中心へ。二手橋のあたりで突然の豪雨。

江戸日本橋から京都三条大橋まで、馬籠、鳥居、塩尻、和田、碓氷と中山道六十九次はその殆どが峠の道。かつて軽井沢で宿をとり、そこから江戸に向かう旅人とそれを送る旅籠の人たちがこの二手橋で二手に分かれたところからそう呼ばれるようになったらしいです。 この二手橋の直ぐ側に室生犀星の碑があり、そのまま三笠へ進むと有島武郎終焉の地があるのですが、この日は行けず。なんか道が変わっていてうまくたどり着けませんでした。ということは今日は来るなと言うことかもしれないと思ったので堀辰雄の「風立ちぬ」の舞台となった万平ホテルを経由して聖パウロ教会へ。

「麦藁帽子」「木の十字架」にこの教会を堀辰雄はこう描いています。“テニスコオトの付近は毎日賑やかでまるで戸外舞踏会が開催されているようだった。そのすぐ裏の教会からはピアノの音が絶えず聞こえてくる” “夕日なんぞに赫いている木の十字架が(中略)いかにも村の教会らしくその感じもいいのである” 「木の十字架」は早世した立原道造への追悼として描かれたものらしいです。軽井沢といえばテニスというのは、この堀辰雄の「麦藁帽子」の一節が端緒かもしれないとおもいました。 甘いものをと求めたのですが、あいにくとコロナ禍の社会環境からイートインはなし。楽しみにしていたル・レガランのケーキは次のチャンスへと持ち越しました。