新明解国語辞典を知るまで、普段使いの辞書は新潮国語辞典第二版、手と心の置き場のない夜にページを手繰るのは全四巻からなる大言海の初版でした。しかし、新明解国語辞典を知ってしまってからはほとんどこれ一つ、なにがそんなに気に入ったかと言うとその解説です。
たとえば、「凡人」とひくと、“自らを高める努力を怠ったり、功名心を持ち合わせなかったりして、他に対する影響力が皆無のまま一生を終える人。”とある、大爆笑です。ちなみに新潮国語辞典第二版では“普通の人。”。大抵は後者の意味で使うであろう「凡人」という言葉、新明解国語辞典の意味を知ってしまうと迂闊には使えません。
大言海は寿屋コピーライターにして小説家の開高健氏が言海を読み物としているとなにかで知り、言海の改訂補強板である大言海を求めたのです。こっちはこっちで大槻文彦氏が一人で編纂、サ行まで終えたところで大槻文彦氏が没、その後を大久保初男氏とその仲間で引き継ぎ、昭和七年に完成させたそうです。
ジェームズ・ジョイスの翻訳の第一人者である柳瀬尚紀氏は「広辞苑を読む」という著作の中で辞書を読む楽しみを説いていますが、紙の辞書を手繰る楽しみは発見にあると感じています。電子辞書はたしかに早いし、一発でひけるけれど、目的の単語が見つからず回り道をすることがないので発見がない。実用的なのです。
それを現代に置き換えると、プッシュかプルかということになると考えるのだけど、それまで興味のなかったものに出会い、新しい知識を得るのはそれはそれで愉しいものです。
人との出会いも然り。
仲間内だけで肩を寄せ合い、言葉の通じる親しみだけで収束していると、新しい出会いはなかなか訪れない、たまには意を決して居心地の悪いところへ身を置いてみるのも大切なのだと、紙の辞書は教えてくれる気がします。