棚村華恵子さんという画家の方がいらして、だいぶ前からその活動を拝見していたのですが、ついに、というか、やっとお会いすることができました。その顛末をここに記します。
待ち合わせをしたのは台風15号上陸間際。棚村さんが拠点を構えるいすみ市、JR外房線三門駅。
この日、かなり大きな台風が来るぞとニュースで知り、房総半島を内房からぐるっと廻る感じで向かいました。ここは内房、湾内はまだ静かな海でした。
これは外房、千倉から鴨川へ向かう途中のあたりです。波はすでにもうこんなに。
そして。。。きたぁー、この電車に乗っているはず。ホームまで出て待っていると現れました。でもなんか違和感。。。あれっ、でっかいキャリーケースを引っ張っている。???と思っていたら、「これから北海道に行くんです!」って、そんなタイミングで時間をいただけたんですね。
ぼくはクルマだったのでそのまま近所にある波乗り野郎御用達の女良食堂へ。なめろう丼を頬張りながら、作品ずっと観てました、この間のライブペイントすごかったですよね!、あの作品は画家棚村のヒストリーの中でターニングポイントとなるべき作品ですよね!とバカ丸出し。
棚村さんは東京藝術大学美術学部を卒業されて、そのまま制作活動に入られました。
その本物を目の前に浅薄な知識を振りかざしてきたというわけです。もちろん沈没です。
棚村さんの印象はその作品から感じていた通り、率直で深く、芸術に対して真摯で、でもお茶目。
そして声が素晴らしい。ミケランジェロが人間の女を創ったらこの声だろうと、思うくらいの、染みる声をしてるんです。ボイストレーニングをしたらそのままナレーターとしていけるんじゃないか。天は二物を与えずといいますが、たまにはこういう粋なこともするんですね、神様は。彼女を創ったとき神様はどんないいことがあったんでしょう。
棚村さん、いすみのアトリエにいると思ったら、山梨の都留に行かれたり、そして今度は北海道。画家って放浪するタイプの人がいますね。田中一村然り、ドラクロワ、ゴッホ然り。美しい光を求めてのことかなと受け止めていますが。一方、写真家はベースを決めて撮影旅行というタイプが多いように感じます。
理解する人間は行動できない。凝視は人の内面資産を凍結してしまう。旧約聖書に、人の眼に眺められると不動の塩の像になってしまうという挿話がありますが、あれは内省の視線の行方を的確に捉えた話じゃないかと。
彼女の場合、その行動こそが新しい世界への手かがりなのかもしれないと感じました。
棚村さんは具象でなく心象風景を描かれることが多い方です。次の作品に大いなる期待をして、せめてものお礼に上野駅までお見送りをさせていただきました。
そしてなんとそれから二年後くらい、当画廊を開けてまもなくの7月、画廊にて棚村さんがライブペイントで華を添えてくれました。その時の様子は下の動画にまとめました。この日、棚村さんは二つの作品を描いてくださいました。その一つは嫁いでいったのですが、もう一つは画廊に展示してあります。
画家 棚村華恵子さんにお会いしました。〜The Inspiration Behind Past Days〜
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