#19 月はいつでも夜の女王。

波の音が遠くに聴こえる。


いまは引き潮なのか、昨日の夜より、海が遠くにあるように感じる。
ベッドから起き上がり窓辺へ行く。


「月明かりに照らされるのが好き。」


彼女の希望でレースのカーテンだけにしておいた窓辺から外を眺める。
空と海の境目が少しずつあらわになり、新しい朝の光がはじまるのがわかる。
波打ち際からそれほど離れていない、砂浜とほぼ平行に一艘の船が煌々とあかりを灯して進んでいく。
空には雲が増えてきた。
横にゆっくり流れる雲の間を鳥が何羽も横切って行く。
空の色が濃い灰色から少しずつ蒼くなり、まもなく夜が明ける。


窓辺にもたれて部屋を眺める。
昨夜の喧騒の跡がそこにある。


彼女のお気に入りのデリカテッセンで買ってきた惣菜の包み紙。
水割り用のカットグラスで飲んだムートン・ロートシルト。
転がったボトルのラベルはジョン・ヒューストンが描いている。


毎日、昨日と断絶した朝がはじまるわけじゃない。


「女の賢者タイムは男のそれより後に来て、そして長いのよ。」


二度目が終わった後、うつ伏せにタバコに火をつけながら佳代子先輩が言ったのを思い出す。


「長いんですか? どのくらい?」
「寝た男の誠意を感じるまでよ。」
「。。。。。」
「野暮なこと訊かないでね、それが女ってものなの。」
「厄介ですね。」
「そうよ、女はとても厄介よ。」
「誠意ですか。」
「安心していいわよ。女って相手が自分に夢中だと信じている限り、優しく、サービス満点でもあるの。」
「どの女でも?」
「さあ、どおかしら?」


未だ、ベッドでイルカのように寝息を立てている佳代子先輩の顔を眺めた。


多分、起きたらシャワーへ行くだろう、行かなかったら、もう一度抱いてでもシャワーへ行ってもらいたい。その間に奈津美にメールをしよう。
彼女に誠意を感じてもらうために。


いま、俺は、凍てついた情熱に走り、流され、盲走し始めている。
考えると、深い井戸に潜り込み、鳥の影にも怯えるのがわかる。
だから、考えるのはやめよう。


「その考えという淡い顔料で青白い病人のようになってしまう。」、そう声に出して言った途端、先輩の声が聞こえた。


「それってバイロン?」
「おはようございます。シェイクスピアですよ。」