Time enough for love #2

「むかしね、すっごくイライラしているときがあって、そんなにイライラしてるなら、もう口なんてききたくないって思ってた。」


シュガーハウスの駐車場にクルマを停め、海岸線が見えるところまで並んで歩いた。
水平線の向こうにはまだ少しだけ太陽がでている。
潮風は心地よいとはいえず冷たい。


「お腹空かない? おでん食べる?」
「ちょっとぉー、人の話聞いてるの?」


この時期になると向こう側に渡る橋の上におでんの屋台がでる。
深夜、クルマでふらふらと走りまわり、いつの間にか足がここに向きおでんを食べてみることもある。
いつ行ってもおじさんが一人でやっている屋台。
たとえ雨の晩でも。

いつか、こんなに雨でもやるんですかって尋ねたら、
「商売って言うのは自分の都合でやっちゃダメなんだよ、こうやってきてくれる人もいるし。」と教えてくれた。
この人と話しをしたのはそれ以外に記憶がない。


「素直になればもっといい男なのにって言ったよね。」
「言ったかしら、そんなこと。」


じゃがいもに大根、つぶ貝とすじを頼んだ。

菜箸を使ってちゃっちゃっと手際よく皿に盛られ、最後に汁をそっと入れてサーブされる。
彼女は大根をちょっとだけ箸でつまみ、からしを付けて食べる。
箸の使い方がとても上手だ。


無口なおじさんが口をきいた。


「うまいかい?」
「おいしーい。」
「大根はね、さっと煮てからじっくり冷ますと味がしみこむんだよ。」
「へぇー、いいこと聞いちゃったね。」


ここの大根は美味いのだ。
もう一つ頼んだ。


「昔は素直じゃなかったよ、伝えたいことを上手く言えなくてそれでイライラしてた。」
「いまは素直なの?」
「大分ね、言葉を上手くしゃべれるようになったから。」
「そうね。」


彼女は箸を置くと、どんな女もするような髪を梳く仕草を襟元のまわりで見せ、自分を見た。


「まだあたしに恋愛感情あるのって? 訊いたとき。」
「うん。」
「そんな昔のこと忘れたって、言われたわ。」
「覚えてるよ。」
「嘘だったんたでしょ。」
「なぜ?」
「理由はないわ。」
「そう思ったんだよ、その時は。」
「素直じゃないから。」
「今もそう思う?」
「思わないわ。その時あたしがなんて答えたか、覚えてる?」
「覚えてるよ。あたしはまだ引きずってる。」
「決心がついたわ、あの一言。」
「言葉は偽られるけど…..」
「なに?」
「言葉に比べると手は偽られることが少ない。」


彼女は海を見て、水平線越しに過ぎた歳月の永い廊下を眺めている。
ストレートな髪が時折の風にそよぎ、うなじをさらし、襟元の産毛に陽があたりきらきらと光る。


「あのさ。」
「なあに?」
「このあとラブシーンだよね。」
「ばか。」


海を向いてたばこを吸っていたおじさんがラジオのスイッチを入れた。
ヴィスコンティ家のエンブレムを模してあるステッカーが貼ってあるラジオからボズ・スキャッグスの JOJO が流れ始める。