鈍色の雲が上にかかって、陽が近いせいか、それでも車窓から見る海は青い。
「車で隣に座るのと、ちがうね」
昼過ぎの江ノ電の、のんびりした横がけのシートから、奈津美が海側の景色を見ようと、首を見返る。細くて、どちらかと言えば弱いところのないうなじが、なんだか急に、法外に「裸」に見えた。
「見づらくない?」
笑いながら言うと、ううん、なんか、楽しい、とこっちを見ずに言う。くもりのせいで、昼でも窓ガラスに、半透明の奈津美が映る。打ち合わせのときより、オフィスで見かけるより、さっき、キンメダイを頬張っていたときよりまっすぐな、油断した笑顔。
奈津美が隙を見せると、いつも奈津美の、京都にいた、大学時代を想像してしまう。
何を食べて、何を考えながら眠ってたんだろう。
夏とか、どこで泳いでたんだろう?京都って海あるのか?神戸にはありそうだけど・・・
そういや昔、淡路島に旅行に行ったっけ。
関西のギャルが、夏はみんなあの島に押しかけて、ドーナツ化現象よろしく、京阪神から人が消えるとかって、津田が言いだして。
犬とランニング着たおっさんしかいなかったなあ・・・
奈津美はまだ、車窓を見ている。人のまばらな砂浜を見ているのが、硝子の中の、半透明の奈津美でわかる。
ねえ、どこで泳いでたのよ?んでもってどんな水着でさ、先輩とか、男友達の輩とか、水際に走っていく奈津美を・・・くそっ、ちくしょう、ちくしょう・・・
もちろん奈津美には何も聞こえないわけで。
いい加減景色、飽きないかね。
もしかしてずばり、思い出してるのかも。サークルの夏合宿とか。
奈津美にならって、海を見てみる。
やきもち、焼かなくなったって言ったら嘘なんだよなあ。
もうまぎれもないルーキーおじさんとなった今でも、やきもちは焼く。奈津美の過去にだって。
でもなんだか薄まって、昔みたいに、背中が焼けるほど熱くなったり、しない。
しない分だけ、トイザらスで軽く迷子になったときみたいに、あわーく所在ない。
次の駅が近づいて、速度が落ちていく。
奈津美のシートについた手が、彼女の体重をささえて、柔らかくしずむ。
気が付くと・・・は嘘で、一瞬、「ここかなあ」っていうためらいで、ぎこちなくその手を握った。
少し雲が切れたのか、車窓の中で更に淡く、消えそうになった奈津美は、俺の見間違いでなければ、やさしく笑っていた。