#1 はじまりのイントロ

「強いて言えば焼き鳥かなぁ、ちょっとおっさん臭いけど。。。」
「焼き鳥? 焼き鳥ねぇ、わかった、探しておきます。ところでいつ行く?」
「いま、仕事が忙しいから、それが終わってから?」
「ということは6月に入ってから?」
「そのくらい。。。」
「だっていま5月だよ、それも6日!」
「だって。。。」
「まじすか、1ヶ月もあるじゃん。」
「あたし、もぉ、お風呂入りたい。」
「はぁい、じゃ、また。」
「おやすみなさい。」
「おやすみ。」



意を決して奈津美を食事に誘ってみたものの、焼き鳥ですか、しかも来月だって。まぁ、いいか、とりあえず約束はしたし。今日誘うことに意義があるんだよね。だって今朝のあの態度、絶対に何かあるよ、間違いなく。だって、コクられちゃうかと思ったよ、マジで。



奈津美は得意先の担当者、で、俺はというとそこへ出入りする広告代理店の営業。



ここ1ヶ月ほど、奈津美の会社は夏のキャンペーンを目前に控えているため、その勢いをつけるのに立て続けに新聞へ広告を出稿していて、だから俺も1ヶ月ほど毎朝、新聞を買っては掲載誌として届けているわけ。



そしてそして、ここ1週間ほどのこと、俺が届ける時間に奈津美が受付までやってくるようになったのよ。最初はたまたまかな、と、思っていたのだけど、どうも違う(気がする)。



今朝なんて受付から内線で奈津美の部署へ電話をかけようとしたら、後ろから走ってきて「間に合ったぁ!」とか言われて。(なんか来客へお茶を出していたらしいんだけど。)



そして掲載誌を渡して帰ろうとしたら、潤んだ大きな瞳でじっと見つめられて、その眼差しにたじろいで後ろに下がると、その分距離を縮めてきて、また見つめられ、何か言うのかと思ったら、いきなり下を向いて、また見つめてとか。



ぜったいなんかおかしい、と思ったから「なに?」って訊いたら「なんでもないっ!」って。



絶対なんかあるでしょ、って、俺の勘違いかも知れないけど、だからそれを確かめたくて、今日の帰り際、携帯に電話して食事に誘ってみたというのがさっきのやりとりって言うわけ。



実は俺だって奈津美にはまんざらじゃなくて、本当はすっごく好きで、だから、まさに、清水ダイブで電話したんだよね。



というわけで、奈津美と知り合うキッカケになったのは仕事。昨年のキャンペーンの制作を一緒にやってから。だからその頃は1日に何回となく電話で話をしていた。(もちろん仕事のやりとのね。)



その頃から俺の心は奈津美に傾いてきていて、なんとか誘うキッカケを探していたら、向こうから来た。



それは昨年のクリスマス。



金曜日の夜で帰る支度をしていたら携帯に知らないアドレスからメールが来た。


「お手すきの時でいいので連絡をください。仕事のことでご相談があります。。。」という内容で、見た瞬間に奈津美だとわかった。



飛び上がるほどうれしかったのだけど、携帯の番号はお互いに知っているもののメルアドは交換していなかったので、なんで知ってるんだろうとハテナだったけどね。


間髪入れずに電話しましたよ。


そしたら「あっ、届いた」って感じですっごく嬉しそうで、俺もドキドキばくばくで、それでもなんとか仕事の事を尋ねると「(進行中の案件は)他の者に引き継いできたので(その担当から)連絡があるかも知れません。」って。



たったそれだけ。


相談でもなんでもなくて、あっけにとられたけど、これでお互いにメルアドも知ったし、めでたしめでたしって、次第。この時点で気がつけばもっと上手に彼女にアプローチができたんだろうけど、なにしろ、俺も舞い上がっちゃって冷静に事を進められなかったんだよね。



でも、向こうからくるって事はまんざらじゃないよね。だから今度は男の俺が、リードしなくちゃ、ね。



それにしても、いま、思うと、女の誘いってやつは巧妙だよね。



だってまず焼き鳥ですか。


くうー、やるよね。にくいね。ちょっと不平らしくしてしまったけど、よく考えれば、もう、逆にいじらしいよね。焼き鳥。しとどに溢れ出る「気合入ってませんよ」感。「誘われてるとか意識してませんよ」感。


考えたんだろうなー。いいですよ。応えましょう。きったないとこ行きましょう。おっさんがカラんでくるような濃いとこ。ジョッキ片手にね。


んで来月ですか。・・・なるほどねぇ。これももはや告白だよね。ぶーたれることなかったわ。逆に。来週とか言っちゃわない奥ゆかしさ。「ぶぶづけどうどす?」の世界だよね。まさに。



二拍二礼、剣道で言えば蹲踞して礼、正しい恋愛作法を忠実に守るあたり、タイプです。ますます。スキです。


恋ですね。


何だかんだ、久しぶりなんじゃないの、このカンジ。プライベートが充実すると、仕事も変わるよね、マジで。6日からの俺ムテキだもん、ほんと。あー、カルピスのCMとか俺にやらせてくれないかなー。ポカリでもいいや。今のおれだったら長澤まさみの力はいらねえ。これが夏でしょっていう伝説をつくれることウケアイだわ。・・・営業だけど。



まあでもこの1ヵ月ってのは形式的なハッタリではないのかも知れない。案外。俺のカンではこれね、来週彼女アウトレット行くね。勝負服買っちゃうね。最近ホンダのフィット買ったっつってたし、御殿場コースかもねこれは。ドライブがてら。


んで直前のリンパマッサージね。これでやっぱ1ヵ月はいるかもね。因果な生き物だよ女も。談話室のananを欠かさず読んじゃう俺だからこそ分かる女心だね。


六月、焼き鳥、得意先。


トータル一番イケてるやつじゃんこれ。きてる。これは完全に(キテる)。



けれど幸福には必ず水をさしたがるやつがいるもので、今回も例にもれず。金曜十時、打ち合わせを終えて帰宅途中に、やってきた。


「いま何してた?」
「打ち合わせ終わって、帰ってる。貴殿は?」
「いま、青山出た。飲むよ。暇でしょ?」
「どこ?」
「渋谷だ。何度言わせる。」



津田ほど渋谷に複雑な思いを抱いている人間を、俺は知らない。大学の同期で、「セックスとジェンダー概論」の講義で意気投合した彼はいま、青山にある総合商社ではぐれ商社マンをしている。神田の古すぎる一軒家を借りて一人住まい、自転車で通勤した挙句11階のオフィスまで階段で行く彼は、社内に友人がいない。当然だよね。



そんな彼にとっておれは週末のオアシスなのかも知れない。


そして津田はいつでも渋谷を指定する。活気と頽廃、上流と下流が交錯するこの街を、津田は心の中で畏怖しながら、決して逃げない。利便をはるかに超えたアツい思いで、今日も津田は駅前の喫煙所に現れた。


「すまんな、貴重な週末を。」


言うな、津田。今日からそれは皮肉にならないんだぜ。すまんね、津田。詫びを言うのは俺だよ・・・


立ち飲みのイタリアンで、俺は奈津美がいかにいじらしい女性か、俺が今どれだけキテるか、白ワインでややアツくなった頭で、津田に語った。


アクアパッツァをにらんだまま黙っていた津田は、やっと一言。


「お前の話には事実が少なくて困る。」


事実?事実ね、事実ならある。


あれでしょクライアントのオリエンとか、クリエーティブの頭の硬い人が言うファクトっていうやつでしょ、あるさ、あるとも。


「事実ならある。」


半ばぬるくなったワインをグッと飲み干すと俺は言った。


「ほぉ、伺いましょうか。」


津田も釣られてグラスを空けた。



赤と違って白はコルクを抜いた瞬間から風味が損なわれていく。2本目はちょっと気張ってソァーヴェを頼み、つまみにクロスティーニを追加した。


彼女から初めて携帯に電話が、それも彼女の携帯から連絡が来たのは夜の8時過ぎくらいだった。彼女が遅い夏休みを取った直後くらい。自分は電車に乗っていたので電車を降りたらすぐにかけ直す旨をSMSで送り、すぐに次の駅で降りて電話をした。


彼女はどこか外にいるようだった。



「いま、大丈夫?」
「大丈夫ですよ、ランチ食べてます。」
「えっ、こんな時間に? あっ、ひょっとして時差? マレーシア行ってたんですよね。」
「プールサイドでずっと寝てました、水着の跡が付いちゃって。」


ぉぉぉぉぉぉぉっ、見たい。その日焼けの跡は是非みたい。


そしてこれ以降の会話は覚えていません。なぜなら頭の中には彼女の水着姿が鮮明にイメージされ、彼女のみずみずしい肌の質感がくっきりと再現され(見たこと無いけど)、やわらかく心地よく耳に響く彼女の声に脳みそがとろけていたから。



さらにこういうエピソードもある。ある日ある時、お互いに会社の電話で話していたら、


「いま、イライラしてるんです。誰かに八つ当たりしたいんです。あたし先週遅かったでしょ、チラシをつくってたの、それがさっき中止になって。」


とか、


「いまぁ、あなたを求めて電話をしたら、あなたから電話がかかってきたの、これってすごいと思いません?」など。


どうだ津田、仕事の電話でここまでいう女を俺は知らない。これが事実だ真実だ。ハーヴァード大学のスローガンはヴェリタスだ。ボーヴォワールや上野千鶴子がなんと言おうと、男と女だ、いや、女と男か。


まぁ、なんだっていいさ、第二の性でもナショナリズムとジェンダーでもなんでもいい、俺たちは互いに告白していない両思いなのだ。


俺と津田の議論はまとまらなかった。最後なんて「とにかく毎日健康で」なんて、年賀状みたいな挨拶を二人でして、二軒目はナシ。神田には誘われたけど。



いや、今日も津田はすごかったね。あんなにいろんな事言うヤツいるんだね。「旅は近親相姦だ」とか、「お前にとって奈津美ちゃんは、イエンゼンのグラディーバなんじゃないのか」とか、大真面目だもんね。いいよね。大好き。


ファクト満載じゃないか、津田。


偶然のTEL。
電波に乗る南風。
水着の跡。


財務諸表も真っ青の、強力なファクトだよ、フラグだよ!


そして何より、俺には「約束」がある。誰かと約束するなんて、親密の極みじゃないか。「約束」して初めて、他人以上ってもんじゃない。今はまだその約束は 「焼き鳥」だけど、いずれ形を変えて・・・。



五月ってもう夏だよね。わくわくしてるもん。あそこにあるコカコーラの自販機の感じが夏だもん。隣に大塚製薬のもあるけど、あれももう夏な感じするもん。マッチのCMでもいいなー、やらせてくれないかなー。BGシューベルトでも、サワヤカにする自信あるのになー。



駅から歩きながら、まったく参考にならなかった津田の話の、唯一使える(かもしれない)ところを、何となく思い出した。


「ところでお前は串にまみれたその日をえらく心待ちにしているわけだが、肝心の日取りはいつなの?六月一日と三十日じゃあ、また一月ちがうぞ。」


ヤボな事を言うなよ、津田。そこは何か社会人の男女の感じで一週目の金曜とか、そんな感じだろ、そうだろ。・・・


大人になっても、待つ身はつらいよね。大人のはずの俺が、もうメールアプリ起動してるんだからね。怖いよね。


わきの公園に入ってベンチに座ったところで、良心と理性がかえってきました。あぶなかった。遅かったね。おかえりなさい。「六月のいつ?」なんてきき方、やだもんね。それでも新規作成して、アドレスまでは入力してたから、tc0911・・・@(奈津美の誕生日は9.11らしい。)ってアドレスと、本文の空白を見てると、このまま(変更を破棄)しちゃうのがもったいなくて、俺は久しぶりに、奈津美にメールをした。



「こんばんは。いま、近所の公園にいます。突然なんだけど、ポカリスウェットか、マッチを、夏の季語にするのはどうだろう?」


反応やいかに。



マンションに帰って、簡略版のシャワーを浴びて、今年初めて、窓を開けて寝た。肌に心地よい薫風も夜が帳を降ろすと少し寒かったのだろう、目が覚めた。かけっぱなしになっていたiTunesからはスタイルカウンシルのTHE COST OF LOVINGが流れている。時間を見ようと枕元の携帯を見るとメールの着信を知らせる点滅があった。



きっと奈津美だ。


「素敵な単語をありがとうございます。わたしはエイヒレを食べてきました。」


くぅぅぅぅ、相変わらずわかんねー、よ。どういう反応なんだこれ。


オンナ心ってやつが本当にわかんねーぞ。



近づくと思えば離れ、遠ざかるかと思えば向かってくる。正方形に内接する円は限りなく一辺に近づくが、また離れて行ってしまう。まさにそれか、正接曲線か。三角関数なら習ったが、オンナ心の関数は習ってません、ってか。まったくもってホタテ貝。作戦考えないとダメですね。


クラウゼヴィッツが言ってたよ、相手がなにをするかでなく、相手になにができるかに基づいて戦略を立案しろって。だが、クラちゃん、そんなことを考えていると動けなくなってシマウマ。


理解する人間は行動できない、理解は人の内面資産を凍結してしまう。


人の眼に眺められると不動の塩の像になってしまうというお話しが旧約聖書にあるけれど、あれは内省の視線の行方をもっとも的確に表していませんかってっんだ。



まぁ、今日のところはこれで良しとするか。明日は明日の風が吹くってか。だがしかし、自分にとって良い風が吹きませんでしたって時はどーする、おい。出口を探してでていきますか、いーや、行きません。だったら、待てば海路の日和あり、か、ちょっと待て、行き先を知らぬものに追い風は吹きません。


あー、もーどーする、寝るか。